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トルコワインの歴史

トルコワインの特徴

代表的なトルコワインメーカー
・Doluca(ドルジャ)
・Kavaklidere(カヴァクリデレ)
・Corvus(コルヴス)

トルコのワインはどこで手に入る?

トルコの葡萄 ボアズケレ
トルコの葡萄 ボルノヴァ
トルコの葡萄 チャルカラス

Doluca(ドルジャ)

ご存じのとおり、オスマン時代には、イスラム教徒がお酒を作ることは禁止されていました。しかし、トルコ共和国設立とともにこの禁止事項はなくなりました。トルコで最も伝統のある会社の一つであるドルジャの歴史は、共和国設立の最初の年までさかのぼります。

81年以上もの間、ワイン愛好家たちに商品を提供してきたドルジャという名前は、地域の一番高い高台からつけられました。

ゲイセンハイムワイン研究所でワイン醸造学とブドウ栽培学を学ぶために3年間ドイツで暮らしたニハト・A・クトゥマン氏は、1926年に帰国し、ガラタで「ヴィニコルワインの家」を作りました。現在のドルジャのもととなったこの会社は、このようにしてトルコのワイン醸造の歴史の最初のページを飾りました。

  • Enoloji(ワイン醸造学):ギリシャ語のoinos (ワイン)と logos (知識)という言葉を組み合わせて作られたEnolojiとは、ワインの醸造や研究の分野である。
  • Vitikültür(ブドウ栽培学):ブドウの栽培や実践の分野。ブドウが育つ気候や土の条件、ブドウの品種の選び方、ブドウ棚の設置、授粉、病気などに関する分野である。
  • ニハト氏は、彼が生まれた場所であるミュレフテとその辺りのブドウ畑で栽培したヤプンジャクとカララハナという品種のブドウから最初のワインを作りました。ヴィニコル、カラ・エルマス、サル・エルマス、エティ、という名前のこれらのワインは、ミュレフテのワイン工場で完成した後に樽に詰められた上でガラタのヴィニコルワインの家に送られていました。

    1950年代まで、ミュレフテとイスタンブルの間には道路がありませんでした。このためワインは海路で運ばれました。ミュレフテとイスタンブルの間に道路が通っていなかった時代、「爆弾」という名前の500リットルのワイン樽はボートの後ろに結びつけられてミュレフテ外海に来た船のほうに運ばれ、甲板水夫によって船の上に引き上げられていました。

    海を渡ってイスタンブルに運ばれたこのワイン樽は、ガラタのワインの港で下ろされて昔のイスタンブルの居酒屋やワインバーに運ばれました。空になった樽は再び船に積み込まれてミュレフテに送り返されました。ミュレフテの外海に近づくと樽は海に放り出され、ボートで陸に運ばれました。このようにして陸に到着した空の樽はワイン販売店(ワインを売る小さい店につけられた名前)の従業員によって集められました。樽の上に店のエンブレムやロゴが記されていたので、他の店の樽と混ざってしまうことはありませんでした。

    1940年代

    新しく栽培したブドウから作られた最初のワインは、1940年代初頭にドルジャという名前で登場し、短期間で広まりました。ニハト・クトゥマン氏は、それ以来年々高まる興味や需要にも関わらず、長い間古くて小さくて昔ながらの手法が使われているワイン販売店でワインの生産を続けました。

    1950年代

    1950年代にミュレフテへの道路が完成したことでトラックでの運送が始まりました。当時トラック1台の積荷限度量は爆弾10個分だけ、つまり500リットルサイズの樽が10個分でした。

    ニハト氏は、このブドウの品種から作られるワインの品質が十分でないと感じ、新たに研究を始めました。そして1935年に別のブドウ品種を調査するためドイツとフランスに渡りました。この調査の結果、当時の条件に最も適していると見られたサンソー、セミヨン、ガメ、リースリングといった品種をトルコに持ち込んで、このワイン棚をミュレフテとその付近の村のワイン畑に設置し栽培し始めました。最初の試行からよい結果が得られ、ニハト氏はこれらの品種をトルコで広めた先駆者にもなりました。現在でも、ドルジャが所有しているブドウ畑でのみ栽培されているリースリングの他に、特にセミヨンとサンソーは、トルコのワイン用ブドウのなかで重要な地位を占めています。

    1960年代

    1960代に突入し、一方で拡大し続ける市場と、他方で発展する技術によって、ドルジャも新たな方向性を見出しました。ニハト・クトゥマン氏の指揮のもと、最初に、それまでドルジャワインを瓶詰めしていたガラタの「ヴィニコルワインの家」をトプハネの新しいビルに移動し、「ニハト・クトゥマン、シェリキ・アディ合資会社」という名前に変更しました。こうして会社の歴史に新しい一ページが加わりました。これと同時にミュレフテで新しいワイン生産工場が建設され、発電機のおかげで多くの電化製品が使われ始めました。ワイン販売店の時代は実質上終了し、その当時の条件に合わせてより近代的な生産工場が使われ始めました。

    1963年に使われ始めたこの工場の倉庫、水平圧と特に温度の調節をする冷却機は、ワインの品質と製造された高品質のワインの量の両方の面で明らかな向上をもたらしました。

    1969年にアメリカのカリフォルニア大学でワイン醸造学とブドウ栽培学を学んだ後帰国し、2年間兵役についたアフメト・クトゥマン氏が会社経営に加わりました。同年、ドルジャで二つの重要な改革が行われました。新しい工場で、慎重に生産され、熟成させられていた赤と白のヴィラドルジャワインの販売が始まりました。短期間でトルコの一流の有名なワインとなったヴィラドルジャは、今日までドルジャで最も売れた商品のひとつです。

    ドルジャの一流ワインとして1969年に登場したヴィラドルジャは、ラベルの絵に描かれているドルジャのミュレフテにある2つ目の工場から名前を付けられました。さらに、「ヴィラ」は高品質のフランスワインとほぼ同義語である「シャトー」という言葉に似せるために付けられました。ヴィラとして名が通っていたこの一流のワインは、数が増えたドルジャ製品の中で特別な意味を持ち続けています。このため、長い年月の中でわずかな変化はありましたが、ラベルの独特のデザインは今でも守られています。

    1970年代

    1970年代にドルジャは初めて一種類のブドウから作られたリースリングワインを市場に出しました。しかるべきときにニハト・クトゥマン氏がトルコに運んできた、そしてドルジャのブドウ畑で育ったリースリングブドウからしか手に入らないこのワインは、ドルジャの最高級の製品の一つとなりました。

    1980年代

    1980年代、ドルジャの高品質なワインの種類が徐々に拡大する時代となりました。同時に、国内消費の拡大、外国人旅行者の増加、海外への輸出によって、ドルジャの生産量と販売量も大きく増加しました。この進歩によって、新しい大規模の投資は避けられない状況となりました。1985年に始められ、ここ15年間中断されず続いてきた何千万ドルもの投資によって、ドルジャに必要な生産能力や技術、そして品質は守られ、世界の最先端のワイン生産者の中での重要な地位も守られました。これに加え、この業界でこの規模の投資をした最初の組織となりました。

    1987年にサービスを開始した、セファキョイ貯蔵・梱包は、最も近代的な機械で埋め尽くされ、ワインが不活性ガスのもとで空気に触れることなく瓶詰めされ、しっかりした貯蔵庫で保管される工場となりました。

    1990年代

    1993年にサービスを開始した、1万2千平方メートルの土地に作られた1万平方メートルのミュレフテの生産施設は、1200万リットルの収容能力、ワインを熟成させるためにフランスから輸入されたオーク製の樽、さびの付かないタンク、近代的な機械と最新の技術でもって、ヨーロッパで指折りの工場の一つとなりました。この設備に加えられた瓶詰め装置によって多くの商品が「生産者元詰め」されるようになりました。最近の投資で、ミュレフテの生産工場の能力は1200万リットルから1400万リットルに拡大しました。

    ちなみに、ドルジャは、トルコのワイン醸造の歴史の中で最も重要な転換期を作りだすサラフィンというプロジェクトに参加しました。1990年代初頭に小学校時代の友人同士であったギュヴェン・ニル氏とアフメト・クトゥマン氏が世界で最も有名なブドウの品種をトルコで栽培し、これから作られる特別なワインをサラフィンという名前でトルコのワイン愛好家らに売り出しはじめました。ブドウの栽培をギュヴェン・ニル氏が、ワインの生産と瓶詰めをドルジャ氏が受け持ちました。サラフィンプロジェクトを実行するために、アフメト・クトゥマン氏とギュヴェン・ニル氏の合同出資でニルクト株式会社が設立されました。サロズ湾の70万平方メートルの敷地に作られたブドウ畑で「特別な」と前述されたワイン用ブドウのうちシャルドネ、ソーヴィニョン・ブラン、カベルネ・ソーヴィニヨン、メルローといった品種の生産が始まりました。1989年に植えられた苗木から1996年に初のワインが作られ、1998年にワイン愛好者らに初めて提供されました。

    フランスの「悪いブドウからいいワインを作ることは不可能だが、いいブドウから悪いワインを作ることはで可能だ」という有名な文言でも述べられている通り、質の良いワインを作る上で一番大事なのはブドウ、次に大事なのはワイン生産施設です。

    2000年代

    この意味でブドウ栽培と近代のワイン醸造の革新と技術の重要性が前面に出ていた2000年代に、ドルジャは、ブドウ栽培分野での投資をより促進しました。1990年代に成功を収めたサラフィンプロジェクトの後、近代的なブドウ栽培手法が適用されたブドウ棚から収穫された質の良いブドウを使用して、トルコのワイン生産をより向上させる目的で新たに調査が開始されました。そして、トルコで初めて国産のブドウと世界的なブドウの品種をブレドしたカルマシリーズが誕生しました。このシリーズとともに、世界でのタイアップのトレンドは、トルコのワイン業界にやってきました。

    ドルジャは、設立された1926年以来達成し続けている「トルコのワイン愛好者に常により高品質の商品を提供する」というミッションを21世紀も引き続き念頭に置き続けています。

    また、今世紀、ドルジャは、トルコのワイン醸造の歴史における重大な決断をし、創造性を生かして、独特のスタイルやキャラクターを持つシグニムメーカーとトルコのブドウ栽培の到達した最新のポイントを示すアルチュテペメーカーでワイン愛好家らにワイン世界の新しい扉を開きました。

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